星野源とエッセイ

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星野源のエッセイを読んで、ああぼくが書きたいのもこういう文章なんだなと思った。

 

面白くてクスッと笑える、見栄を張っていないありのままの自分で、何でもないような日常を切り取って考察していくような。下ネタだって何でもありで、かといっていやらしくはない、すがすがしい。

そんな文章が書けたら楽しいだろうなと。

 

文章を書く才能だとか、言語化する才能ってのはある。それを自分が持ち合わせていないのは痛いほどわかる。だからといってそれを何も書かない理由にはできない。ただ羨んでいたり、コンテンツを消費して、何か分かったような、少し賢くなったような錯覚を抱いているだけだと、現状を何も変えることなんてできない。

 

よく言われることだけど、まずはバッターボックスに立つことが大事。三振したとしてもまた次の打席に立つ、立ち続ける。自分の打順じゃないとしても立ち続ける。打席から引きずり降ろされそうになっても立ち続ける。

 

ぼくは野球よりもサッカーが好きだから、サッカーで例えるなら、シュートを打つことが大事。いくらボールの支配率が高くて、どれだけ鮮やかなパス回しが出来ようとも、シュートを打たない限り得点はできないから。シュートを打つ意思がなければ、ゴール前でパスを受け取っていても気づかず後方にボールを戻してしまうかもしれない。メッシやクリスチアーノ・ロナウドがこれだけ長い間最前線でゴールを量産し続けているのは、チャレンジをし続けて日々進化し続けているからなんだと思う。

 

だから継続すること。それもただ続けるだけじゃなくてトライアンドエラーを繰り返して改善していく必要がある。

それ以前の大前提として、自分が没頭できるかどうか。楽しいのかどうかが一番大事。楽しくもないことを続けるのはただの苦行で、精神を消耗するだけだから。

 

 

つまり、本当に書きたいことだけ書いていきます!

 

そんなただの宣言でした。

 

というか、長いこと更新してなさすぎました…。

書くことが無かったとか、めんどくさかったとかではなくて、全くの余裕がなかった。ある程度の余裕がある時間を確保できていないと、人間は本当に想像力を失うんだなと実感。これは本当に怖いことで、考えることを止めてしまうことだけは今後ないようにしたい。

そのためには、自分の時間を取り戻す、それに尽きる。この4月から環境が変わって、ありがたいことに肉体的にも精神的にも余裕が生まれた。収入は減ったけど。

 

まあ楽しいと思えることに没頭できていたら、いつかは何かに繋がっていくんじゃないかなと、そんな楽観的な考えでいます。