沢木耕太郎「深夜特急」の旅、自分の旅。旅に出るのに年齢は関係ある?

この夏、一ヶ月と少しの間、海外旅行に行ってました。ばたきちです。

 

普通に働いている人からすれば、まとまった休みもロクに取れないのに、ひと月以上も旅行だなんて羨ましいと思いますか?

 

当人のぼくはというと、

仕事なし、貯金もたいして無い状況の中、異国で独り。

減り続ける預金残高、疲労やストレスですり減り続ける精神。

あー楽しかった!!

 

なんか遠回しな嫌味みたい?そんなつもりないですからね!ぼくくらい心の澄んだヤツもなかなかいないですよ!

友達の間では、ばたきちの心に船を浮かべると、まるで宙に浮いているように見える!と言われるほど透き通っているとかなんとかかんとかそいやそいや。

※イメージ

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Photo by はいむるぶし

 

まあこれは半分冗談として(もう半分どこいった?)、タイトルにも書いた、「旅に出る年齢」や、 ぼくにとってこの旅行がどういうものだったのか、何か得るものはあったのか、などについて改めて頭の中を整理しておこうと思います。

 

 

なんでこのタイミングで旅行に行ったのか

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まず単に旅行好きなのがひとつ。

オーストラリアでのワーホリを終えて帰国し、ニートなので時間があったのもひとつ。

もひとつ言うと、沢木耕太郎さんが言っていたことに少なからず影響されている。

 

代表作のひとつ『深夜特急』

この巻末の対談で沢木さんが、「旅をするなら26歳がいい」と語っていたことが頭に強く残っていた。ぼくは今ちょうど26歳。そして何にも縛られていない。じゃあ逆に、行かない理由ってあるの?無いでしょ!と。

 

今しかないとも思った。ここで行っておかないと、もう暫くこんなチャンスはないだろうから。

 

オーストラリアでのワーキングホリデーを具体的に考え始めたのが21歳。そこからお金を貯めて、計画の変更もあってまずフィリピン留学したの23歳の時だった。その後にオーストラリアへ行って2年過ごして帰国。で26歳。からの今回の旅行だった。

 

別に見計らった訳ではなく、偶然このタイミングで26歳になっていた。もっと早く、もしくは、もっと遅くだったらどうだったか...。

 

沢木さんはあまり若いうちから海外に行くのは少し否定的で、26くらいが世間を知って、判断力も付き、物事にリアクションもできると語っている。

 

今や、大学生で長期休みを利用して、もしくは休学をして旅をする人も結構たくさんいる。学生のうちに、社会に出る前に旅の経験をしておくのは悪くないし、時間を有効に使っていると思う。周りとの差別化も出来て就活で有利になったりもするのかな?中には自ら動いてスポンサーを得て旅に行ったりする強者もいるし。

 

最近の若い子って結構しっかりしてる印象を受ける。ネットがあって色んな情報を持っていて、かつ知りたい情報も簡単に得られることが関係しているのかもしれない。

だから若いからといって、世間知らずって訳でもないから、十代後半、二十代前半であってもきちんと物事の判断はつく。

 

逆にもっと遅く、三十代、四十代でだとどうか。職場での責任も大きくなってきて、家族も持っているかもしれない。そうなると、長期で一人で旅に行くのは現実的にかなり厳しい。

 

だから社会的な責任が出てくる前であればどれだけ若くても、旅に出た時がその人にとって一番いいタイミングなんでしょう。

 

旅だったのか?旅行だったのか?

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海外に独りで行ってきたけど、これを『旅』と呼べるかは微妙。

 

自分の中で『旅』というと、沢木耕太郎さんが深夜特急で書いたようなものを思い浮かべてしまう。

 

前に旅ってなんだ?みたいな記事も書いたんだけど、ここで旅と旅行の違いとは?みたいなことを考えていても、しょうがないし、どっちの方がイイなんてこともない。

 

でも予め大体のルートや宿泊場所を決めてしまっていた今回のコレを旅と呼ぶのは何か違うように感じる。

 

あんな風に行った先々でいろんなものや人との出会いはなかったし、いきあたりばったりでもなかった。カジノで有り金の大半を失って、また取り返して。ある商品を値切って買うために何日も通ったり。目的と言う目的もなく何日も過ごしたり。そんなことも当然なかった。

 

あ、ここまで書いてなんとなく、観光することに重きが置かれているのが「旅行」で、行った先々に可能な限り順応して何かを感じ取ろうとするのが「旅」ってすると、スッと収まりがいいかなって思った。

ぼくの感覚ではこう。っていうただの一意見として。

 

だからぼくのやつはただの旅行だったのかなあと思う。周りの人に「旅をしてきました」とは言えなくて、やっぱり「旅行してきました」と言う方がしっくりくる。

 

ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在していたことの方がよっぽど旅らしいものだったのかもしれない。旅みたいな生活とでも言えばいいのか。

 

 

沢木さんは旅に出る前からすでにライターだったから、最初からその内容を本にするって考えはあったのかも。そうだとすると、行った先でとる行動も少なからず違ってきて、より行動的になれた部分も無きにしに非ずかなあ。

 

比較するのもおこがましいけど、ぼくはと言うと、ブログの記事にするなんてことも全く頭になくて、無難に時間を過ごしてしまった。もっと冒険しておけば良かったとも今では思う。

 

独り派と複数派

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独りだからこそ出来ることや、行ける場所もある。でもこの先、また独りで同じような旅行に行くことはないかなと思う。少なくとも現時点ではってだけなんだけど。

 

やっぱり「旅」であれ「旅行」であれ、誰かと一緒に行って、その時間全部を共有することが面白い。しょうもないことを話して笑って。美味しいご飯と酒があればもう最高でしょう。

 

独りで行って、現地での出会いが醍醐味だってタイプの人もいるけど、それはコミュ力(りょく)が圧倒的に高い、コミュ力サイヤ人に限った話です

ぼくのようなコミュ力ヤムチャは最初から友達とかと一緒でないと、どこか寂しくて、しんどくも感じてしまう。

 

あるとすれば、例えば何かの視察・研修とか、そういった学びに行くような明確な目的がある場合は、全然喜んで独りででも行くんだろうけど、あの街を観光したい!といった理由とかでは動けないかなあ。

 

帰国直後の感覚

ちきりんさんのこのツイートが目に止まった。あ、確かにその通りだ、と。

 

海外に滞在して日本に帰ってきたときは、今まで目にも留めなかったことに目が行ったり、何かしら気づくことなんかがある。人についてもモノについても、これは日本の良い所だな、これは悪い所だななど。

 

海外で新しいものを見よう知ろうって、何かしら自分に取り込もうという気持ちでいたから感覚が鋭くなっているのか、

海外で全く異なる風景、文化、人を見てきて、それと日本との落差から気づくことがあるのか、

視野が広がったのか。

 

どんな理由であってもあの感覚は大事なものだから、ちゃんと残しておいて、どこかで何かに生かせたらいいなあと思う。

 

まとめ

沢木さんがしてきた様な旅に「あんな旅をしてみたい!」と憧れはしても、ぼくという人間には到底マネできないってことは解った。だから結局は、自分に一番合った方法で、好きなように楽しめばいいやん。て結論。

 

多いのか少ないのか、数にして8ヵ国を周って、友達との再会もあったり、色々なものを見てこれたから後悔は特にないし、楽しい旅行ではあった。

 

今日の一曲

ハイウェイ (ベスト オブ くるり Remastered)

ハイウェイ (ベスト オブ くるり Remastered)

  • くるり
  • オルタナティブ
  • ¥250

 

邦楽のアーティストでは「くるり」が一番か二番目に好きです。ぼくがくるりを聴き始めるきっかけになったのは、知り合いの旅人が「この曲を聴くと旅に出たくなる」と紹介してくれたこの『ハイウェイ』。それ以降、ぼくにとって旅といえばこの曲。

 

 

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最後まで読んでくれてありがとうございます。