人見知りは直さなきゃとか思っていたけど、割とどうでもいいんじゃない?
高校では友達がうまくみつけられなくて、大学でも気が合う人は数百人中の数人とか。でも学外でたくさん友達が出来た。友達になれるのって奇跡的な確率だし、近くに気の合う人がいるとは限らないから、中学・高校とかの狭い場所で友達が出来なくても気にしなくていいと思う。今はネットがあるからいいな
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年6月11日
内気というか人見知りでよかったことは、同じタイプの人とめっちゃ深く仲良くなれること。人見知りは人見知りと集う。元人見知りの人って、いろんなものを克服してきているから、話が面白くて人間味が深くて気遣いに溢れてる。自分も繊細だからこちらの繊細さ(神経質ともいう)をわかってくれる。
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年6月11日
はあちゅうさんのツイートをみて思ったこと。
ぼくは、まあ人見知りなんですよ。
最近はマシになってきていると、自身を持って言えはしないまでも、ぼくも26才になり、それなりの社会性も身につけてきているとは感じます。いやそう思いたい。
もともと口数は少ないほうで、まだ付き合いの浅い人からは誤解されることも少なからずあります。
初めましてのかたに対しては、ある程度こちらから質問したり話を振ったりするんですけど、たくさん話すと疲れてしまうので、会話は基本的に聞く側にまわり、相手に喋ってもらいます。これは良くも悪くもですね。
仲良くなると、ぼくの発言量も少し増え、口が悪くなります。
口が悪くなるといっても単純にディスったりするんではなくて、鋭めのツッコミを入れたりするたぐいのもので、笑いをとることに重きを置いているんですね。
笑いはとりたいんですよ
でもあんまり喋りたくない
そんなジレンマを抱えながら、なんとかかんとかやってるんだな。と書きながら整理されてきました。
完全に変なやつですね。
ぼくのような他人がいたら、友達にはなりたくないタイプであるのは間違いない。
まあそんなぼくでも、決して多くはないですけど仲のいい友達はいるんです。
それはどんな人たちかと改めて考えてみると、「コミュ力の塊かよ」って人から、「ひとりの人としてそんなんで大丈夫なの?」って人までいますけど、やっぱりどこかしら共通項があるんです。
「価値観が近い」というありきたりな言葉でくくってしまっていいかどうかは疑問ですけど、ぼくたちを繋げているものが何かしらあるんです。
はあちゅうさんのツイートをみて、
こんなぼく、ありのままのぼくでも受け入れてくれるこんなに楽しくて素敵な友達がいることは幸せだなと。人見知りでいることは別にそう悪いことじゃないのかなと、そう思いました。
今の時代変化が激しく、それに伴って旧態依然とあった「こうあるべき論」がいろいろなところで崩れてきているのはありがたくて、ぼくたちはいい時代に生きているんですよ。
だから自分たちも縛られずに変化をしていかなければいけない部分だってあるので、自分の頭でしっかりと考えて動いていかないとですね。
きっちりしたまとめ方なんてできないですねー。まあ今日はこんな感じで。
ちなみに写真は吉野ケ里歴史公園に行ったときのもの。彼の心の深い闇が見られるようないい写真が撮れました。